先手、必良
なんでも、こちらから関わる。
こちらから知ろうとする。
こちらから受け入れる。
こちらから理解に努める。
こちらから体験する。
こちらから経験する。
こちらから歩み寄る。
こちらから挨拶をする。
こちらから手を伸ばす。
こちらから頭をさげる。
こちらから。こちらから。
それが、先手必良。
思い悩むだけの「マジメ」は捨てています。
思い悩むだけの「マジメ」は、本当に有用な真面目ではなかった。
仕事・生活・人生に、自分の意義を持って実際に臨むこと、
その動的姿勢自体を、本当に価値ある真面目と呼ぶ。
自分の良心に照らして、よい、やろうと思うことは迅速に行動し、
社会の先輩の、力あるよい言葉を、自分自身で実行、体現し、
経験と失敗と成功から学び続け(私は経験からのみ、真の意味で学ぶことができる)
他者を支えその背中をぐいと押し上げる人間であるという根本願望を心から感じる。
経験からのみ、真の意味で学ぶことができる。
失敗し恥をかいたことは、もう間違えない。
成功し感動したことは、何度でも繰り返そうとする。
何が正しいかなどと思い悩むばかりの「マジメ」よりも、
良心から体験し、経験し体現し、苦労し乗り越え、成功し失敗し、恥をかき喜び学ぶ
真の真面目とは、そんな真面目でありたい!
まあ結局ネガティブです
あー体が歪む。顔が歪む。肋骨は浮き出る。頭蓋骨はぐんなりと曲がっている。骨盤は酷くずれている。げんなりだ。
げんなりだと、表情もげんなりしてくる。
なんて怖い顔。俺はこんな顔で周囲に接してしまっていたのか。
さあて。顔の歪みや体の歪みと、気持ちや表情と、すぐに直せるのは、気持ちや表情だから、やはり、気持ちや表情はげんなりさせたくないなと少しは思う。
表情がげんなりしていると、全体がげんなりと見える。
骨格やら顔やらのズレは、きっと表情がげんなりしていなければ、それほど気にはならないものだ。
げんなり顔が、体のズレを強調させる。
体のズレは、やっぱり恥ずかしい。
表情で隠す。
真面目系クズの最大の特徴は「自己保身」です
やらねばならない労を厭わない。
義は通す。
やらねばならぬことは、やらねばならぬ。
できるならやる。
できないならできるようにする。
自己保身に走らない。「面倒くさい」は、大抵自己保身である。
「面倒くさい」と「やらない方が状況が改善する」を、決して混同してはいけない。
やることは進んでやりきろう。
義は遠そう。
必要なことは、状況をよくするために必要だ。
できるならやる。
できないならできるようにする。
相手のことを考える。「面倒くさい」は、自分にとって「面倒」なだけだ。相手はそれを必要としている。
学びます
①
言葉は、人の性質や思想とつながっている。
姿勢は、人の性質や思想とつながっている。
②
対等である。
自分は自分。人は人。
比べる対象は人ではない。
勝ちも負けもない。争わない。挑発に乗らない。
比べる対象は、自分の目指すところ
粛々と、自己を点検する。
③
変わることを恐れない。
立ち止まらずに前へ進む。
④
自分の目で自分を見る。=自分(なりたい像)の主観で自分を見る…1 研鑽
他者の目で自分を見る。=他者の主観で自分を見る...2 謙虚
1が大切。だが、バランスよく使い分ける。
心の中で決める時は、自分(なりたい像)の目で自分を見る。
他者との関わり合いの中では、他者の目で自分を見る。
⑤
本当に大切なのは、1であると思う。仕事は、2である(が多い?)と思う。
本番は1.仕事は2。余暇、つまり研鑽の時間こそが最重要な本番なのではとちらと思う。
⑥
食わず嫌いはよくない。入れ込む先は多ければ多いほどいい。
たくさんの人や現象を好きになり応援できればよい。
⑦
感性の独立は、堅く守る。
自分が感じる「よい」を、よいとする。
⑧
感情的にならない。誤ったならば、深呼吸し、5分、10分、時間がかかっても良いから、指摘を「身体に馴染ませる」(イメージ)。
誤りは、10分、20分かけて、体に、頭に「馴染ませる」。
焦ってはいけない。指摘「された」ままで終わらせてはならない。
指摘をした人が何を考えているのかを、その立場に思いを馳せる。
指摘を「馴染ませ受け止める」フェイズまで、焦らず時間をかける。
時間は、かける。時間は、存分にかける。指摘を無駄にしないために。
感性だけは、自分のものでありたいのですが。
私の感性は、私の感性なのでしょうか。
誰かの感性を、私の感性だと思い込んではいないでしょうか?
人は、自分の感性を把握できるのでしょうか?
どうしたら、自分の感性を把握できるのでしょうか。
色々なものを見、色々な人に会い、色々な体験をして、その度に自らを振り返る作業が必要なのでしょうが、この「振り返り」に、他者の感性が多分に侵入している気がしてならないのです。
感性が空虚ではないでしょうか?
他者の感性を自分から除いた時、私に何かが残るのか。