何も持ってない私だから、

学生生活、失敗。留学、失敗。就活、失敗、今、そこそこ。これから、にまり。

自信がないの正体

自信がない、というのは、結局、他人によく思われないことが怖いだけだ。

自信がある、というのは、他人の目が怖くない状態だ。

 

はぁ、鬱だ。こんなことばかり何年考えているんだろう。

 

遠からず、自分は鬱になるだろう。うつ病になりやすい条件はそろってる。

動けなくなるだろう。

人間相手は、キツイな。人間相手はキツイ。自分のような人間にとっては。

「変わる」ことを強要する失礼・そして罪深さ

子供を「変えよう」と思うことの、どれほど罪深いことか。

特に「変われ」「これじゃあだめだ」と、いたづらに強要する罪深さ。

 

「変われ」ということを子供らに話しているときの私は、非常に活き活きしていると思う。気持ちがいいからだ。なぜ気持ちがいいのか。それは、自分が「変わる」ことなく、他人に「変わる」ことを押し付けられるからだし、他人がそれで「変わる」ことが、まるで自分も「何か変われた」と錯覚するからだ。

 

「変わる」ことを伝えるのは、自分以外の誰のためでもない。

それも「こう変われ」と伝えることの罪深さは尋常でない。そう言っている人間自身の意図が混じっているからだ。それは「命令」だ。相手の人格を無視したものだ。

 

私は他人を変えられない。他人を変えようとしてはいけない。

私は自分は変えられる。私は自分を変えようとしていく。

私が自分を変えようとしていく様を見て、他人は他人で勝手に変わる。

 

礼を失するな。決して礼を失するな。

どうでもいいことの方がずっと多い。大切なものは何?

10秒考えてみれば、どうでもいいことの方がたくさんある。

では、大切なものは、いくら考えてみても、やっぱりよく分からない。

時々何かを掴みかけるんだけど、結局分からない。

考えが拗れてくると「大切にしなければならないものを大切にできていない自分はダメなのでは」と、最近は減った被害妄想が。

そんなものは、無いと思う。

「大切にしなければならないから大切にしなくてはならない」ようなものを、無理に大切に思う必要はない。それは、誰のためにもならない。自分のためにも、その、もののためにもならない。

きっと、そう感じる時が来て、大切だな、素敵だなと感じて、初めてそれが、本当に大切なものになるんだろうね。

大切な、もの、こと、ひと、大切な・・・。

失くしたくない・失いたくない・愛したい・大事にしたい・自らをささげても構わない・幸せを祝福できる・じんわりと暖かな気持ちがやってくる。

実は、それらって、もの、こと、ひとの性質というよりは、自分の性質なのかもしれないね。

色々なもの、こと、ひとを、大切にできるような人間でありたいものです。

そうだね。じんわりと、暖かく、気持ちを満たせるような人間であろうよ。

基礎・基本がいちばん大切。

基礎・基本がいちばん大切だ。

 

服選びの基本は、濃い色と薄い色の両方を取り入れること。

仕事の基本は、責任とコミュニケーション。

人生の基本は、選択と継続と楽しむこと。

 

基礎・基本がいちばん、いちばん大切だ。

困ったときは、基礎・基本に立ち返って、何度でも歩き直せばいい。

基礎・基本は、たくさん変わっていい。

最初は、先人の基礎・基本を真似る。

それを土台に、自分の基礎・基本=個性を実現する。

(まるで、徐々に服装に個性が出てくるように)

服選びは、とても大切なことを教えてくれた。

 

基礎・基本がいちばん大切。

基礎・基本に立ち返って何度でも歩き直せる。

基礎・基本はたくさん変わり得る。

基礎・基本は、まずは外から取り入れる。

基礎・基本は、自分のカラー=個性の土台になる。

素知らぬふりで1日は過ぎていくが、全ては間違いなく変質している

今日も終わった。

朝起きた時の自分と今の自分は、間違いなく別人だ。

なぜなら、今日1日で自分は変質していたからだ。

変質は間違いなく起こっている。

骨は摩耗し、内臓は疲れ、筋肉は損傷し、脳はまた老化した。

すべては変質し続けている。

変質は、蓄積し続けている。

今の自分は、起床時の自分から変わっている。起床時の自分に、13時間の変質の蓄積が影響して、今の自分が存在している。

 

変質は、蓄積し続けている。今も、この瞬間も、また次の瞬間も、変質は蓄積し続けている。

 

今日も、明日も、明後日も、自分は変質する。変わり、積もり、変わり、積み重なる。明日の自分は今日の自分と比べてどう変わっているのだろうか?

全て、全てのことは変質し、積み重なり続けている。

今この瞬間も変質している。

今この瞬間も、私は変質している。

変質することは、居心地の悪いことだ。

だから、この、意識をした上の居心地の悪さは、素晴らしい変質の証拠だ。

習慣は変質の傾向、癖だ。

今この瞬間も、私は私の意思に関係なく変質している。

私は、自然に変質する。

その変質は、習慣という傾向に従っている。

「変質の傾向」そのものを変える変質は、大変な変質だ。

だから、疲れるのは当たり前だ。

その分、それ以上に、リターンは巨大だ。

一度、変質の傾向が良い傾向になってしまえば、放っておいても、あるいは非常に小さな労力で、私自身が良い方向に変質するからだ。

 

疲れても止まらない。走るのに疲れたなら歩く。3日歩けたのだから、7日歩ける。