何も持ってない私だから、

学生生活、失敗。留学、失敗。就活、失敗、今、そこそこ。これから、にまり。

自分の心を大切にしすぎなんだと言われた

考えすぎるから、動かないのだと言われた。

腑に落ちる。

大抵、爽やかな疲れは、嫌な自分自身を無視して動き続けたその先にある。

外からの害から攻撃を受けている自分は無視しない。そういうことじゃない。

怠惰な、嫌な、情けない自分は、無視する。

自分を捨てる。自分を捨てる。いらない部分を捨てる。そういうことだ、間違えない。

 

大抵、爽やかな疲れは、嫌な自分自身を無視して動き続けたその先にある。

「自分は何も持ってない」は「自分には信念がない」と言い換えられる

決して、何も持ってないわけはない。

持っているもの

体、健康、視力、両手、コーヒーメーカー、コップ、死なない程度のお金、ダンベル、パソコン、インターネット、広辞苑、本、服、お酒、ケトル、テレビ、レコーダー、鞄、靴、お風呂、バスタブ、鏡、家、電灯、換気扇、仕事、同僚、上司、バスタオル、スマホスマホの充電ケーブル、布団、掛け布団、テーブル、座椅子、自転車、両親は生きてる、弟妹も元気、犬は弱ってるけど猫は相変わらず、25歳と1か月だからまだ若い方、手があれば足もある、目も見える、英語も多少は使える、洗濯機もある、物理的な不自由は特にない、時計、コーヒー豆、お湯も使える、wi-fiも使える、プロテインもある、オーブントースターもある、洗顔料も乳液も化粧水もコットンもある、ブルーレイもある、漫画もある、ネカフェだっていつでも行けるよ、ネクタイもワイシャツも革靴も靴磨きもある、スーツもある、運動できる服もある、twitterも使える、アプリゲームも使える、話ができる友達も一応、人参がある、牛蒡がある、お味噌もある、ごみ袋ある、洗濯竿はあるし、洗濯バサミもあるし、エアコンもあるし、ペンもあるし、冷蔵庫もある、クイックルもある、フライパンがあるし、IHヒーターもある、お茶碗も汁椀もお皿もお箸もある、フライ返しもお玉も、歯ブラシも歯磨き粉も、トイレもあるし、水洗だし、シャワーからお湯は出るし、ドアがあるし、トイレットペーパーもある、ティッシュもある、自転車のヘルメットもある、クローゼットもある、少しは働くアタマも一応、一応ある・・・あと何がある、大体ある。大体持ってる。

欲しいもの(モノ)はあるか?

きれいな部屋と風呂、映像が映るテレビ、洗った布団と掛け布団

では、自分にはなにがない?

誠実さ、正直さ、情熱、志、人への思いやり、信念、将来像、自分の考え、真剣さ、継続力、話の面白さ、彼女、親友、克己心、手際の良さ、やるべきことをやりきる強さ、精神的な強さ、すぐやる力、目指すもの、目的や目標、段取り力、コミュニケーション能力、哲学、考え、方針、土台、素直さ、明るさ、人に好かれる雰囲気、ユーモア

自分の外には、十分にある。自分の中には、何もない。

これが、まあ、難しい。自分の外には、十分にあるのに、自分の中には、何があるのか。

怠惰がある。懐古がある。不安がある。卑屈がある。すみませんと謝る自分がある。

やーめた。

自信がないの正体

自信がない、というのは、結局、他人によく思われないことが怖いだけだ。

自信がある、というのは、他人の目が怖くない状態だ。

 

はぁ、鬱だ。こんなことばかり何年考えているんだろう。

 

遠からず、自分は鬱になるだろう。うつ病になりやすい条件はそろってる。

動けなくなるだろう。

人間相手は、キツイな。人間相手はキツイ。自分のような人間にとっては。

自分を憐れむことしかできない弱虫だ

私は、そんな弱虫だ。諦める。私は、自分を憐れむことしかできない弱虫だ。

きっと、何にも満足できないんだろう。

この、20数年で培ってしまったものは、もうひっくりかえせないのだと思う。

 

自己憐憫は麻薬だ

「変わる」ことを強要する失礼・そして罪深さ

子供を「変えよう」と思うことの、どれほど罪深いことか。

特に「変われ」「これじゃあだめだ」と、いたづらに強要する罪深さ。

 

「変われ」ということを子供らに話しているときの私は、非常に活き活きしていると思う。気持ちがいいからだ。なぜ気持ちがいいのか。それは、自分が「変わる」ことなく、他人に「変わる」ことを押し付けられるからだし、他人がそれで「変わる」ことが、まるで自分も「何か変われた」と錯覚するからだ。

 

「変わる」ことを伝えるのは、自分以外の誰のためでもない。

それも「こう変われ」と伝えることの罪深さは尋常でない。そう言っている人間自身の意図が混じっているからだ。それは「命令」だ。相手の人格を無視したものだ。

 

私は他人を変えられない。他人を変えようとしてはいけない。

私は自分は変えられる。私は自分を変えようとしていく。

私が自分を変えようとしていく様を見て、他人は他人で勝手に変わる。

 

礼を失するな。決して礼を失するな。

どうでもいいことの方がずっと多い。大切なものは何?

10秒考えてみれば、どうでもいいことの方がたくさんある。

では、大切なものは、いくら考えてみても、やっぱりよく分からない。

時々何かを掴みかけるんだけど、結局分からない。

考えが拗れてくると「大切にしなければならないものを大切にできていない自分はダメなのでは」と、最近は減った被害妄想が。

そんなものは、無いと思う。

「大切にしなければならないから大切にしなくてはならない」ようなものを、無理に大切に思う必要はない。それは、誰のためにもならない。自分のためにも、その、もののためにもならない。

きっと、そう感じる時が来て、大切だな、素敵だなと感じて、初めてそれが、本当に大切なものになるんだろうね。

大切な、もの、こと、ひと、大切な・・・。

失くしたくない・失いたくない・愛したい・大事にしたい・自らをささげても構わない・幸せを祝福できる・じんわりと暖かな気持ちがやってくる。

実は、それらって、もの、こと、ひとの性質というよりは、自分の性質なのかもしれないね。

色々なもの、こと、ひとを、大切にできるような人間でありたいものです。

そうだね。じんわりと、暖かく、気持ちを満たせるような人間であろうよ。

基礎・基本がいちばん大切。

基礎・基本がいちばん大切だ。

 

服選びの基本は、濃い色と薄い色の両方を取り入れること。

仕事の基本は、責任とコミュニケーション。

人生の基本は、選択と継続と楽しむこと。

 

基礎・基本がいちばん、いちばん大切だ。

困ったときは、基礎・基本に立ち返って、何度でも歩き直せばいい。

基礎・基本は、たくさん変わっていい。

最初は、先人の基礎・基本を真似る。

それを土台に、自分の基礎・基本=個性を実現する。

(まるで、徐々に服装に個性が出てくるように)

服選びは、とても大切なことを教えてくれた。

 

基礎・基本がいちばん大切。

基礎・基本に立ち返って何度でも歩き直せる。

基礎・基本はたくさん変わり得る。

基礎・基本は、まずは外から取り入れる。

基礎・基本は、自分のカラー=個性の土台になる。