何も持ってない私だから、

学生生活、失敗。留学、失敗。就活、失敗、今、そこそこ。これから、にまり。

「卑怯者」卑怯な自分にいつも気を張っていよう。向き合おう。戦おう。自律しよう。

「プライドを捨てるとラクになれるよ」→嘘。しんどい。プライドを持った弱い自分と向き合い、プライドの発作が出たら必死にそれを抑えなければならないから。

「自分を大切にしなよ」→自分を甘やかすことじゃない。「ありのままの自分でいい」とか「弱い自分でもいい」などというのは嘘。そういう解釈は、外からの不当な圧力に苦しんでいる人しか使っちゃいけない。自分自身が「よくない」と思う自分は矯正しないとダメ。自律できていないのなら、自分を律しなきゃダメ。自分を大切にするとは、本当はそういうこと。

 

弱い自分一覧。

・嘘つき

・不誠実

・ルーズ

・怠惰

・人が見てないところで手を抜く卑怯者

・人を大切にしない冷たさ

・顔色ばかり伺う卑怯者

・その場しのぎの卑怯者

・反省するふりで行動に移さない嘘つき

・自分との約束も守れない不誠実、信頼0男

・すぐ言い訳を考える卑怯。

・何かを続けることもできない、やるといったことができない裏切り者

・叱られないこと が目的になっている、小さいカスみたいな人間

・自分を反省して変わろうとしないばかりか他人への不満ばかり心に貯めるバカ

・罪悪感を直視せず、他のことに逃げる卑怯者

・自己保身しか考えない卑怯者

・返事だけいいけど何も変わらないクズ

・その場しのぎの雑魚・・・

 

まとめると

 

①卑怯者ー「自分さえよければ」「怒られなければ」「誰も見てなければ」

②その場しのぎの詐欺師ー言い訳・自己保身「今の自分さえ嫌な思いをしなければ」

③ツラだけはいい見せかけのクズー誰からも信頼されるわけがない

 

こんな自分が、出てこないように気を張る。卑屈もダメ。それは自己保身。

俺の本質は卑怯者で詐欺師で見せかけだけのクズだ。本質は変わらないかも知れない。

でも、見せかけだけでも、自律しよう。

 

続けてればマシになる。そんな希望は持とう。それがなければただの卑屈。

①卑怯になるな=何かや誰かに甘えんな自律しろ

②言い訳するな=死んでも言い訳するな

③他人が自分を信用していると思うな

1年前の研修を思い出している

あの研修に行けてよかったと、そうは感じない。

あの研修で得たものといえば、ダメの烙印だけだ。

自分の取り組みが中途半端だったのか?

いや、それは腹立たしい。そうと思えないものは、そうと思えないものだ。

色々なことを言われたけれど、そうと思えないものは、そうと思えないもの。

頑固なのか。素直じゃないのか。柔軟であること、素直であることが大切とは言う。

自分も、生徒にそうあってほしいと思っている。そんな生徒は、ある種自分に都合がいいからだろう。

だが、自分は、生徒の敵ではない。生徒が合格できるように、できることは、声掛けと、ついてあげることだ。

目標の共有と言う点で、自分とあの研修講師は違っていたんじゃなかろうか。

講師→会社の期待に応える。自分を、講師なりの、会社なりの、社会なりの「正しさ」に正そうとする。自分は、それが「正しい」とは思えないから、講師とも会社とも社会とも衝突する。

自分→自分のため・生徒のため・保護者のため。大学に合格する・勉強を頑張る、そういうものを通して子供に自信を持たせる

 

いや、結局俺は俺のために生徒に接してる。生徒のために、生徒に接してない。きっと、あの講師と特段変わらない。

いや、いや、うーん。

自分の心を大切にしすぎなんだと言われた

考えすぎるから、動かないのだと言われた。

腑に落ちる。

大抵、爽やかな疲れは、嫌な自分自身を無視して動き続けたその先にある。

外からの害から攻撃を受けている自分は無視しない。そういうことじゃない。

怠惰な、嫌な、情けない自分は、無視する。

自分を捨てる。自分を捨てる。いらない部分を捨てる。そういうことだ、間違えない。

 

大抵、爽やかな疲れは、嫌な自分自身を無視して動き続けたその先にある。

「自分は何も持ってない」は「自分には信念がない」と言い換えられる

決して、何も持ってないわけはない。

持っているもの

体、健康、視力、両手、コーヒーメーカー、コップ、死なない程度のお金、ダンベル、パソコン、インターネット、広辞苑、本、服、お酒、ケトル、テレビ、レコーダー、鞄、靴、お風呂、バスタブ、鏡、家、電灯、換気扇、仕事、同僚、上司、バスタオル、スマホスマホの充電ケーブル、布団、掛け布団、テーブル、座椅子、自転車、両親は生きてる、弟妹も元気、犬は弱ってるけど猫は相変わらず、25歳と1か月だからまだ若い方、手があれば足もある、目も見える、英語も多少は使える、洗濯機もある、物理的な不自由は特にない、時計、コーヒー豆、お湯も使える、wi-fiも使える、プロテインもある、オーブントースターもある、洗顔料も乳液も化粧水もコットンもある、ブルーレイもある、漫画もある、ネカフェだっていつでも行けるよ、ネクタイもワイシャツも革靴も靴磨きもある、スーツもある、運動できる服もある、twitterも使える、アプリゲームも使える、話ができる友達も一応、人参がある、牛蒡がある、お味噌もある、ごみ袋ある、洗濯竿はあるし、洗濯バサミもあるし、エアコンもあるし、ペンもあるし、冷蔵庫もある、クイックルもある、フライパンがあるし、IHヒーターもある、お茶碗も汁椀もお皿もお箸もある、フライ返しもお玉も、歯ブラシも歯磨き粉も、トイレもあるし、水洗だし、シャワーからお湯は出るし、ドアがあるし、トイレットペーパーもある、ティッシュもある、自転車のヘルメットもある、クローゼットもある、少しは働くアタマも一応、一応ある・・・あと何がある、大体ある。大体持ってる。

欲しいもの(モノ)はあるか?

きれいな部屋と風呂、映像が映るテレビ、洗った布団と掛け布団

では、自分にはなにがない?

誠実さ、正直さ、情熱、志、人への思いやり、信念、将来像、自分の考え、真剣さ、継続力、話の面白さ、彼女、親友、克己心、手際の良さ、やるべきことをやりきる強さ、精神的な強さ、すぐやる力、目指すもの、目的や目標、段取り力、コミュニケーション能力、哲学、考え、方針、土台、素直さ、明るさ、人に好かれる雰囲気、ユーモア

自分の外には、十分にある。自分の中には、何もない。

これが、まあ、難しい。自分の外には、十分にあるのに、自分の中には、何があるのか。

怠惰がある。懐古がある。不安がある。卑屈がある。すみませんと謝る自分がある。

やーめた。

自信がないの正体

自信がない、というのは、結局、他人によく思われないことが怖いだけだ。

自信がある、というのは、他人の目が怖くない状態だ。

 

はぁ、鬱だ。こんなことばかり何年考えているんだろう。

 

遠からず、自分は鬱になるだろう。うつ病になりやすい条件はそろってる。

動けなくなるだろう。

人間相手は、キツイな。人間相手はキツイ。自分のような人間にとっては。

自分を憐れむことしかできない弱虫だ

私は、そんな弱虫だ。諦める。私は、自分を憐れむことしかできない弱虫だ。

きっと、何にも満足できないんだろう。

この、20数年で培ってしまったものは、もうひっくりかえせないのだと思う。

 

自己憐憫は麻薬だ

「変わる」ことを強要する失礼・そして罪深さ

子供を「変えよう」と思うことの、どれほど罪深いことか。

特に「変われ」「これじゃあだめだ」と、いたづらに強要する罪深さ。

 

「変われ」ということを子供らに話しているときの私は、非常に活き活きしていると思う。気持ちがいいからだ。なぜ気持ちがいいのか。それは、自分が「変わる」ことなく、他人に「変わる」ことを押し付けられるからだし、他人がそれで「変わる」ことが、まるで自分も「何か変われた」と錯覚するからだ。

 

「変わる」ことを伝えるのは、自分以外の誰のためでもない。

それも「こう変われ」と伝えることの罪深さは尋常でない。そう言っている人間自身の意図が混じっているからだ。それは「命令」だ。相手の人格を無視したものだ。

 

私は他人を変えられない。他人を変えようとしてはいけない。

私は自分は変えられる。私は自分を変えようとしていく。

私が自分を変えようとしていく様を見て、他人は他人で勝手に変わる。

 

礼を失するな。決して礼を失するな。