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すごく人間的に安定した人ってたまにいるじゃないですか。
ああいう人たちってどうやって育ったんでしょうか。
ああいう人たちの周りにはどんな人たちがいたのでしょうか。
ああいう人たちの育った家族はどんなだったのでしょうか。
ああいう人たちはどんなことを考えて学生の時代を生きてきたのでしょうか。
ああいう人たちは
ああいう人たちは
ああいう人たちはどんな人間関係的幸福に包まれてきたのでしょうか。
ああいう人たちは人間関係的幸福を追求してそうなったのでしょうかそれとも人間関係的幸福がああいう人たちのもとにやってきたのでしょうか。
ああいう人たちは、自分は、嫌いだったし、今も、少し、いやだいぶ、好きになれない、いったい、この差はなんなのだろう、卑屈の芽、苦しい、苦しい、苦しくて少し泣きたくなる。私はやはり人と比べることが大好きだったりする。
2/22
2/22。ねこのひ。
祝って欲しい。俺が自分でありえつつあることを。
俺が自分と言う人間を受け入れつつあることを。
俺が自分の性質を嫌うことがなくなりつつあることを。
俺が自分の欲求に素直でありつつあることを。
俺が、俺自身を苦しめる呪縛から解かれつつあることを。
祝って欲しい。
自分の思う自分と現実の自分とのギャップがだんだん少なくなってきていることを。
現実の自分の姿に、自分の意識上の自分が近づきつつあることを。
自分が「人の目を気にする」という性質に、客観的に向き合えつつあることを。
自分が、時々自然にサボれるようになりつつあることを。
自分の、余分な力が抜けてきつつあることを。
呼吸のしやすい自分の在り方が見つかりつつあることを。祝って欲しい。
諦念かもしれない。しかし、諦念として表現できるような、諦めや、失望や、無力感が、全く感じられないのだ。ああ、これでいいのだ、地に足がついている。この上で、具体的な作戦がたてられる、めでたいことだと。
祝って欲しい。行き過ぎた気持ちが、現実の自分を直視し始めたことを。
現実の自分の弱さを受け入れ始めたことを。
祝って欲しい。おめでとう、きっと成熟の第一歩だ。
おめでとう、やっと、自分の自分らしさのしっぽが掴めた。
自分らしさ、という、複雑怪奇なもののしっぽが掴めた、気がするのだ。
祝って欲しい。おめでとう。成熟の小さな大きな一歩だ、きっと。
あなたはあなたで、俺は俺だ。
「あるべき姿」が溢れているでしょう。そうでない自分に嫌気がさすことがあるでしょう。でも本当は、嫌気なんて感じる必要はきっとなかったのだ。
自分を含める人間に対して、
あたたかくて自然なユーモアと笑顔がある、そんなやわらかい思いやりさえあれば、どんな自分でもよかったのだ。
2/20
こんにちは。
自己分析をした。
「変わりたい、とか、不安だ、とか思うけれども、その願望は具体的ではないし、それらの願望を本当に叶える必要性を実は感じていない。それらを実現するために必要な行動を「面倒くさが」り、それらの行動から逃げているだけだ。なのに、変わりたいとか、不安だとか思う。行動できないくらいなら、不安に思ったり、仕事変えたいとか思わない方が、精神は安定する」
要するに、人の顔色を伺い気にし、自分の選択に真の自信が持てない上に、面倒くさがりで、必要なのに嫌なことからは逃げる。そんな自分なので、変になにかを変えようなどと思わない方が、精神的に落ち着くんじゃないか、と。
そう思いました。
仕事。命の危機に匹敵するような危機感や、何が何でも転職したい、などといった強い必要性を感じてない。もちろん千葉の方が愛着あるけど、現状でも別にいいと思う。現状を変えるドタバタや苦労を考えたら、今のままの方が楽だ。その苦労、嫌なことを避けることは、千葉に移ることよりも自分の中では上だ。
要するに。
人の目や空気に敏感なので、正解を求める志向が強く、ただ勉強はできるので意識の高い言説に強く影響を受けやすい。それらの性質から、漠然とした不安を抱えやすいが、その不安を直視すること、その不安を打破する行動からは「めんどくさい」と逃げる。だから、いつまでも不安が頭に残り、最終的には「ああすればよかった」と悔やむ。それが自分。
だから、今のまま安住してしまえば、いいのではないだろうか、いや本当に。今の状況を、積極的に選びとってしまえばいいのではないだろうか。
ずっと、そうだったではないか。高校も大学も留学も就活も。
消極的な選択は「であるべき」という思考を生んで、その思考は「不安」を生んで、私はいつまでもドキドキして、不安に苛まれて、満足できない。
積極的に、選びとってしまえばいいではないか。これでいいじゃないか。不満は特にないだろう。日本の将来に心からの緊急性は感じていないのだろう。成長する必要性も強く感じていないじゃないか、実際。千葉にだって、たまに変えればいいだろう。
いったい、なにを不安に思う必要があるのだ。立ち向かわないのなら、現状に満足すればいいじゃないか。それで、本当にいいじゃないか。
まじで。
2/18
めんどくさい、という気持ちは大敵であります。
伊那に行く。少しずつ生徒と自分をなじませていこう。
疲れた。疲れてしまっている。ああ。
寝よう。
2/17
26の誕生日まであと3ヶ月を切った。
実家に帰った。何をしたわけでもなかった。でもそれでいいんだろう。
東京で遊ぼうと思わなかった。それでもいいんだろう。東京の空気に触れるだけでいいのだろう。
何も悪いことはないのだ。
実家を去るのが、千葉を去るのが、東京を去るのが惜しかった。その一事だけで、今回の帰省がよかったものだとわかる。
幸せについて考えることは多い。今日と昨日は幸せであった。
2/14
生徒から手作りのクッキーをもらってとても嬉しかった。自分のことをよく思ってくれている生徒が、実は結構たくさんいたのだと感じさせてくれた1週間だった。自分を信じて、また生徒を信じて指導にあたっていこう。
松本は、ちょっと不安だ。
遅い。手をつけるのが。やはり、自分が、速さを体現していると思う。
伊那に移る前に、手伝えるだけ手伝う。
2/14❶
生徒の掌握をどうすればいいのか。
生徒にもう一度校舎の存在意義を認めてもらうにはどうすればいいのか。
生徒に話を聞いてもらうにはどうすればいいのか。
芯を定める。校舎の方針を堅固なものにして、それを伝え続け、それを我々が守り続ける。とにかく守る。一貫する。貫く。矛盾なきようにする。