「夜と霧」を読みました。
精神心理学者フランクルの「夜と霧」を読みました。
フランクルのこの本は、私の隣にあって共に反省してくれる本でありました。
私は、フランクルと一緒に、自分自身を反省しました。
フランクルは、決して「反省せよ」とは言いません。
フランクルは私の隣に座って、彼自身の反省を行い、私も、私自身の反省を行った。そんな読後感です。
私は、この本を「凄惨な体験記」であるとは理解できませんでした。それは、ひょっとしたら訳の問題かもしれませんし、私自身の想像力の問題かもしれませんが。
私は、この本を「体験者の祈り」のようなものであると理解しました。凄惨な様を直接描写して見せるのではなく、それに巻き込まれた人間の内面を描き、それでもって、共に反省しよく生きましょうと、一緒に祈るような本だと理解しました。
多くの読者の方が、新訳はあまりに柔らかで、フランクルの壮絶な体験を、壮絶な痛みと苦しみを、抽出しきれていないと指摘しています。
確かに、身に迫る恐怖や恐ろしさを、私はあまり感じませんでした。流れるように目が動き文字を読んでしまえもしました。
ただ、その柔らかな文体は、目が流れてしまうことを意識させ、逆に何度も読み返し理解を深めようと注意させましたし、私が持つ豊富でない語彙と対応させやすく、その結果自らの言葉で、反省することができました。
旧約も読んでみます。きっと、新訳になく旧訳にある素晴らしさに気付けるのだと思います。