「当たり前のことが当たり前にできない」私とあなたへ
私たちは、当たり前のことを当たり前にできない人間です。
時間通りに起きることから、人に「ありがとう」「ごめんなさい」と言えることまで。
私たちは、当たり前には、できないんです。
私たちは、弱い人間です。
自己保身を第一に考えてしまう、もうどうしようもなく弱い人間です。
私たちは、弱い人間です。
いくらでも不誠実に、そして卑怯になってしまう人間です。
社会的に「当たり前」なことを、私たちは決して「当たり前」にはできません。
私たちは弱い人間です。どうしようもなく弱い人間です。小心者です。時に卑怯です。
だから、言い訳などせず、「当たり前」のことができるように、意識的に訓練をしていくのです。
この訓練は、苦しいです。苦しいことは、知っています。怖いです。
苦しくて怖いから、手を付けやすいように工夫し、勇気を出して挑みましょう。
「当たり前」のことができるように。
仲間や他者や自分自身のために、自分の損得勘定抜きに、動けるようになるために。
挑み方は、人それぞれです。
私は、まず「シール帳」を作りました。
「当たり前」のことを意識的にすることができたら、このシール帳にシールを貼り、やったことをわきにメモしておきます。
私は、ゲームでも経験値を貯めることが好きなので、シールを自分の経験値と考えて貯めていけば訓練を続けられると考え、この方法をとりました。
ただ「シールを貼るため」に「当たり前」のことをするわけではありませんが、私は自然に「当たり前」のことができるほど強くはないので、この方法をとります。
どんな小さな「当たり前」でも、やったらシールを貼ります。
郵便受けにたまっていた郵便物を回収すること。食後に食器を洗うこと。部屋の片づけをすること。布団を畳んで整理すること。コンビニの店員さんに「ありがとう」と言うこと。服を畳んで片付けること。課題に手を付けて進めること。歯を磨くこと。トイレに行ったら手を洗うこと。笑顔でいること。人に「ごめんなさい」と伝えること。
どんなに小さな「当たり前」でも、です。
私たちにとっては、それらは決して「小さな」ものではないからです。
私たち、弱い人間は、謙虚に「当たり前」を行動していきましょう。
私たちは、当たり前のことを当たり前にできない人間です。
私たちは、この社会で幸せになるために、育ちなおす必要があります。
私たちは、「当たり前」のことができるようになりましょう。
私は「当たり前」のことが、できるようになりたいです。
そして、おそらくですが、それは実は「当たり前」のことではないのですきっと。