何も持ってない私だから、

学生生活、失敗。留学、失敗。就活、失敗、今、そこそこ。これから、にまり。

「変わる」ことを強要する失礼・そして罪深さ

子供を「変えよう」と思うことの、どれほど罪深いことか。

特に「変われ」「これじゃあだめだ」と、いたづらに強要する罪深さ。

 

「変われ」ということを子供らに話しているときの私は、非常に活き活きしていると思う。気持ちがいいからだ。なぜ気持ちがいいのか。それは、自分が「変わる」ことなく、他人に「変わる」ことを押し付けられるからだし、他人がそれで「変わる」ことが、まるで自分も「何か変われた」と錯覚するからだ。

 

「変わる」ことを伝えるのは、自分以外の誰のためでもない。

それも「こう変われ」と伝えることの罪深さは尋常でない。そう言っている人間自身の意図が混じっているからだ。それは「命令」だ。相手の人格を無視したものだ。

 

私は他人を変えられない。他人を変えようとしてはいけない。

私は自分は変えられる。私は自分を変えようとしていく。

私が自分を変えようとしていく様を見て、他人は他人で勝手に変わる。

 

礼を失するな。決して礼を失するな。