「夜と霧」を読みました。
精神心理学者フランクルの「夜と霧」を読みました。
フランクルのこの本は、私の隣にあって共に反省してくれる本でありました。
私は、フランクルと一緒に、自分自身を反省しました。
フランクルは、決して「反省せよ」とは言いません。
フランクルは私の隣に座って、彼自身の反省を行い、私も、私自身の反省を行った。そんな読後感です。
私は、この本を「凄惨な体験記」であるとは理解できませんでした。それは、ひょっとしたら訳の問題かもしれませんし、私自身の想像力の問題かもしれませんが。
私は、この本を「体験者の祈り」のようなものであると理解しました。凄惨な様を直接描写して見せるのではなく、それに巻き込まれた人間の内面を描き、それでもって、共に反省しよく生きましょうと、一緒に祈るような本だと理解しました。
多くの読者の方が、新訳はあまりに柔らかで、フランクルの壮絶な体験を、壮絶な痛みと苦しみを、抽出しきれていないと指摘しています。
確かに、身に迫る恐怖や恐ろしさを、私はあまり感じませんでした。流れるように目が動き文字を読んでしまえもしました。
ただ、その柔らかな文体は、目が流れてしまうことを意識させ、逆に何度も読み返し理解を深めようと注意させましたし、私が持つ豊富でない語彙と対応させやすく、その結果自らの言葉で、反省することができました。
旧約も読んでみます。きっと、新訳になく旧訳にある素晴らしさに気付けるのだと思います。
今ある場所で決めて決めて決め続けましょう。
みなさん。決めましょう。
「俺は「〇〇する」と今決めた!」と常に心に呟きましょう。決めるのです。決め続けるのです。決めるのです。
俺は、決めます!
私は戦いません。
私は人と戦いません。
私は自分と戦いましょう。
私は人と比べません。
私は昨日の自分と比べましょう。
私は人を愛します。
私は自分を愛します。
私は、本物の自尊心を手に入れたいのです!
自己受容してみます
私は、100点満点で、3,40点くらいです。
3,40点の私は、劣った私だとか、バカな私だとかではなく、
「3,40点の私」であります。
オッケーですか、「100点満点中3,40点の私」であります。
直したい部分は、こんなことです。
自分を日々受け入れること。受け入れて、もっとよくなろうとし続けること。変わろう、もっとよく変わろうと決めること。
他の人を信じること。信頼すること。裏が見えようとも表を信じること。
家族を助けること。他の人を助けること。貢献心を感じること。
感じること=幸せを感じることが目標であり、評価されることを目標と考え違わないこと。評価されないことに敵対心や不幸を感じてしまうことのないように。
過去を振り返らないこと。未来を考えすぎないこと。今ここで一生懸命踊ること。
他の人の課題と、自分の課題を分けること。
「自分がどう感じられているか」は、他の人の課題であり、他の人が決済するものだということ。
「他者をどう感じているか」は、自分の課題であり、誰かに操作されない、自分で決済するものだということ。
私にとっての「みじめ」を考えます。
どんな言葉や態度が、私に「みじめ」を感じさせるでしょうか。
「みじめ」は、貶められた自分自身・貶められた自分の価値にあると思います。
自分自身を貶められる・自分の価値が貶められるとは、どういうことでしょうか。
貶められる自分自身、貶められる自分の価値とは、どんなものなのでしょうか。
自分自身・自分の価値とはなんですか。
それらが貶められるとは、どういうことですか。
・・・
わたし・と・あなた。
別々の人間であることを思えば、何を貶められる必要があるのでしょうか?
そこまでの強さは、今の私にはありませんが、
究極のところ、「わたし・と・あなた」である限り
「あなた」が「わたし」にどんな態度を取ろうとも、どんな言葉を吐こうとも、
「わたし」がわたしを大切に思っている限り、何も貶められることは、ないのでは。
結局、最も大切なのは、わたしが「わたし」を大切に考えてやることなのでしょう、
わたしが「わたし」を貶めないように「わたし」を支え、よい言葉をかけ続け、信じ、努力を続け、
そして「わたし」を信じることなのでしょう。
負け惜しみでも、ないのです。
「勝ち・負けじゃないというやつほど、勝ち負けにこだわってる、負け惜しみだ」
先日まで、こんな言葉が私の中で渦巻いていました。
でも、そうじゃないのです。やっぱり、勝ち・負けじゃないのです。
勝ち・負けの考え方は、自分も周りの人も不幸にしてしまいます。
私は、それを高校で、大学で、そして普段の生活の中で、実感しています。
勝ち・負けではなくて、わたしとあなた。掛け替えのないわたしとあなた。
負け惜しみとは、少し違う。だから、大丈夫、信じてください。
あなたのその考え方は、決して負け惜しみなどではない。
あなたもわたしも、居心地良く幸せになれる考え方です。
勝ち・負けじゃないのです
寂しい考え方だと思います。勝ちか負けかだなんて。寂しいです。
そんな考え方をする人は、寂しい人だと思います。とても寂しい。
私は、寂しい人です。
私の苦しみの大半は、人と比べること・あらゆるものを即座に「勝ち・負け」で判断してしまうことにあったように感じます。
人と比べるから、勝ちだ負けだと思うから。
私は人を侮るし、私は勝手に侮られた気分になる。
人は私に侮られていると感じ、人は勝手に私に加害者扱いされる。
いつまでも、誰とも対等でいられない。私はとても寂しい人間です。
勝ちだ・負けだという考え方は、やめよう。
自分自身の価値を棄損するのは、やめよう。
友達を傷つけるのは、もう絶対にやめよう。
もう、勝ちだの負けだの、そんなくだらないことで、大切な人を傷つけるのはよそう。
もうこれ以上、大切に思っている人に離れていってほしくない。
そうじゃない。そうじゃない。
私は私を、勝者でも敗者としてでもなく、私として肯定します。
私はあなたを、勝者でも敗者としてでもなく、あなたとして肯定します。
寂しい。寂しいよ。もうやめよう。足を洗おう。
勝ち組・負け組、ではなくて、私と、あなた。
勝者・敗者、ではなくて、私と、あなた。
私より・あなたより、ではなくて、私と、あなた!
わたし・あなた!掛け替えのない、唯一の、わたし・あなた!
どうか、私に、そう信じさせてください。