「臆病」と「慎重」は違うことを知ります
(腹式呼吸が、神経を落ち着かせます。)
このトピックを選んだ理由は、不動産選びの経験にあります。
私は、2日前の土曜日に、長野県松本市へ物件を見に行きました。候補となる物件が見つかりましたが、私はその場で決めずに帰りました。
決めなかった理由は
①担当の方の印象があまりよくなかった、騙されている気がした
②この場で決めると「負け」である気がした
③自分の目に自信がないので、両親やおばさんと相談した方がいい気がした
④別の不動産店がこの物件をより良い条件で扱っているかもしれなかった
①の理由は、今更別の不動産店を見つけるのは面倒だったし、②は、どうしようもなかったし、③は、結局背中を押してもらいたいだけだったし、④は、探す手間が面倒だったので、結局「ここでいいか」と、月曜日に連絡をいれました。
希望の物件は、すでに埋まっていました。
同じアパートの別室が空くかもしれないとのことなので、希望はつながりましたが、私は反省する必要があると思いました。
私が決断を躊躇ったすべての理由は、具体的な証拠ではなく、「いや」「めんどう」「こわい」といった、感情に基づいていることに気が付きました。しかも、物件への印象ではなく、担当者や自分の選択自体、環境を変えること自体への感情でした。
物件の条件は、私からしたらよいものだったのに、その価値判断は「あっているか分からない」とか、物件ではなく担当者が「いや」だとか、本質的ではない感情で躊躇ったのです。
その結果、私は、存在した選択肢を狭めてしまったです。
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臆病と慎重は、違います。
臆病の定義は「ちょっとしたことにも怖がったりしりごみしたりすること」とあり、
慎重の定義は「注意深くて、軽々しく行動しないこと」とあります。
臆病は、ものごとを、現実に存在する理由なしに、感情的に怖がり、ものごとに何があっても触れようとしません。「いや」という感情が全てに優先します。
慎重は、ものごとを、現実に存在する理由に基づいて、分析し、考え、時にはものごとに触れながら、ゆっくりでも着実に、自分の望む方向へ進んでいきます。
臆病は、ものごとを過剰に怖がり、変わること自体を恐れ面倒くさがります。
慎重は、まず、ものごとを本当によく知ろうとし、分析と実行と決断を重ねながら着実に変わっていきます。
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私は、臆病です。
物件自体には、立地も条件も何も問題はありませんでした。
就職先は確定し、どうであろうと4月から引っ越すことも決まっていました。
環境は、すべてその方向で固まっていました。あとは私の身体一つなのです。
なのに、ただ「いや」「こわい」「負けた気がしていや」「めんどう」「心の準備が欲しい」などの、とても感情的な理由からカウンターで決断をしなかったために、物件が埋まってしまいました。
「○○な気がする」は、大体感情が言い訳をしているんです。
そして、その臆病は、その感情は、
その臆病な感情に引っ張られた「しない」という行動は、今ある選択肢を狭めます。
私は、臆病です。感情が、行動を、思考を引っ張りがちです。だから、
私は、慎重でありたいです。感情と付き合いながらも、感情に引っ張られず、着実な行動・思考・決定の積み重ねで、自分の望む像を達成する慎重者で、ありたいです。